北
22日 トロリ始発バス 7:30→8:30頃 テン場 9:00頃→11:00 取付 12:00頃 登攀開始 17:30頃 3ピッチ目途中までフィクス終了→テン場 18:00
23日 テン場 5:30→取付 6:30頃 17:15 5P目途中で登攀終了、同ルート下降→テン場 18:00頃→ダム 20:20頃→扇沢 21:30頃→西八 01:30
時間メモしてないのでうろ覚え。
今回は登山道も整備され、アプローチは快適だったが、取付きまではブッシュで覆われていた。1日目で3ピッチ(弱)ぶんフィックスを張って、2日目続登。全体的にあまり登られてない様子で3P、4Pとも、ブッシュやコケ、泥が多くて苦労していた。5P後半から6ピッチにかけては、花崗岩が風化が激しく、草つきやフレークなど踏み抜いてしまうような状態。ここで断念して下降した。
私がリードした(というか、できた)のは前回ユマーリングした1P目のみ(写真:ほんとはもっと被ってます:バックロープとかギアの角度をご参考に)未知のピッチはまだまだ未熟なのでとても無理で、作業だけでも充分時間がかかってしまいました。でも2日間フィックス、荷上げ、ユマーリング作業を通しで出来たのは、行き帰りのアプローチ(少ないけどね)、ダム歩きも含めてかなり勉強になりました。(久々のダム歩きはこたえたわー)
金曜夜にでて深夜到着、早朝出発、12時間近い(またはそれ以上)行動、深夜帰宅。これを毎週やってるアルパインクライマーって凄い。改めて尊敬致します。
過去の記録をさかのぼったら、2003年の先週に(M山君と左岩稜)行ってました。6年振りですかねー。
天気が不安定で、内蔵助の出合付近で雨に会う。一時雷雨(!)しかも、残雪が少なくて徒渉。雨宿りして様子を見る。「小川山行く?」「黒部の太陽でも見る?」「じゃぶじゃぶで渡るしかないかなー」しばらくすると晴れて河原の石も乾いてきたので、ぴょんぴょんで渡り、ようやく電波塔の広場へ。テントを張り、偵察エーンド工作へ出かける。
1P目出だしの「展望台」まで登って、FIX。雪がある時期なら、容易に行けるらしいが、けっこう悪いので、ロープを出す。「これアプローチじゃねえよ」荷物もデポして、帰幕。明るいうちに夕ご飯食べて寝てしまう。
朝2時半起床。ご飯食べてると、ぱらっと雨。「なんだよー」4時半過ぎ、雨も上がったので出発。もう明るい。
昨日のFIXをユマーリングして、荷揚げ。
1P M川
いちばん簡単な2P目をリードさせてもらうので、セカンドでクリーニングしながらユマーリング。ユマーリングに夢中だったので「自分が登る」ルートとして見てなかったけど、支点は、NPはもちろんハーケンだったり、リングボルトの「頭」だったり。しかも、結構かぶっていたので、サードのO山さん:「空中ユマールだ〜」少し、支点を残した方が、良かったみたいだ。ごめんなさい。
2P スラ婆
越沢のすべり台みたいなカンジの寝た凹角を、コンタクトラインのクラックとかちょっとした隙間とかにカムを噛ましながらのAA。40mくらいかな。結構長かった。半分フェイス、半分エイドみたいなかんじ。時にはフェイスにスタンスを求め、支点は自分で判断して、カムをセットして、エイダーに乗り込んでくの。うわー難しい。持ったギアの残量を計算しながら、すごーく時間をかけて、ビレーポイント。あーーーーー怖かった。
ここで、私は荷揚げ用に引いてきたロープをアップするときにしくって、少し束ねたところで落としてしまった。それが岩角にひっかかり、永遠に荷揚げが出来なくなってしまった。ホールバックとの連結を外して、ロープは上げたけど、結局ここで終了。すごく、ごめんなさい。
3人でビレーポイントに終結して、ラペルして、下り、テントをたたんでダムに戻る。
観光客に混じって薄汚いクライマー3人(だけ。つうか、どういう認識をされていたかは不明)遠慮しつつ、扇沢。ギア分けをして、薬師の湯→昭和軒!!!10年ぶり?のソースカツ丼。至高〜。目立った渋滞もなく、帰宅10時半。
土日で、屏風に行ってきます。って、氷川じゃなくて穂高でございます。すっげー久々のアルパイン+エイドクライミングなんでございます。
師匠が靴ひもを持って行けって言っていたけど、何十年経ってんだ、今時それはないでしょう。って思ってググってみたら、あんまり変わってないかも。リングの飛んだボルトに細引きや靴ひもが残置、そこにエイダーかけて登るらしい(フリーなら11cくらい)ウへー。ワクワクだわ^^